探究は世界と自分を行き来する学び
「探究」と聞くと、学校の課題や研究発表を思い浮かべるかもしれません。何か大きなテーマを決めて、調べたことをまとめる。そのような姿を想像すると、「自分には特に研究したいことなどない」と感じることもありそうです。
けれど、日々の暮らしの中には少し気になることがあります。
- なぜ納豆には朝食の印象があるのだろう。
- イヤホンを使う人が増えたように見えるのは、どうしてだろう。
- 自分の意見を聞かれると、何もないような気がするのはなぜだろう。
私が最近、話しながら考え、調べてみたのは、こうした問いでした。どれも最初から形の整った研究テーマだったわけではありません。考え始めると、それぞれに思いがけない方向へ話が進んでいきました。
納豆の向こうに江戸の朝が見えてきた
「なぜ納豆は朝なのか」と考えたとき、まず浮かんだのは、旅館やホテルの朝食でした。テレビやアニメの食卓も関係しているのではないか。開けるだけで食べられる手軽さが、忙しい朝に合っているのかもしれません。
そこで、「ホテルやテレビが広がる前はどうだったのか」と調べてみると、江戸後期の『浮世風呂』に、朝の納豆売りが描かれていました。少なくとも江戸の朝と納豆の結びつきは、現代のホテルやテレビだけでは説明できません。[1]
最初に考えた理由にも別の役割がありそうです。その結びつきを生んだ原因というより、後の時代にも朝食らしい印象を保つ働きをしているのかもしれません。そう考え直すと、今度は始まった理由と続いてきた理由を分けて調べたくなりました。
気づけば、「なぜ朝なのか」は「いつ、どこで、その結びつきが生まれ、どう受け継がれてきたのか」という問いへ変わっていました。
江戸の納豆売りという知識も、ホテルやテレビを理由に考えていた私には、自分の予想を見直すきっかけになりました。身近な食べ物の周りに、以前は見えていなかった町の暮らしが現れてきたのです。
この過程は、「なぜ納豆は朝なのか――素朴な疑問から始まる探究」に、もう少し詳しく書いています。
イヤホンについて何を確かめるか
イヤホンやヘッドホンを使う人が増えたように感じたときにも、いくつか理由を考えました。
自分の世界に入っていたいから。電話やオンライン通話にも使えるから。以前より使いやすくなったから。どれもありそうですが、このままでは何を調べればよいのかぼんやりしています。
そこで、使いやすさのうち「端末につながるコードがなくなったこと」に目を向けました。
コードが邪魔にならないなら、身体を動かしながら使いやすそうです。それが利用を後押ししているなら、運動中などの使い方にそのよさが表れているのではないでしょうか。使っている人自身も、コードが邪魔にならないことを理由に挙げているかもしれません。
こう考えると、確かめたいものが具体的になりました。利用する場面と利用者が挙げる理由を探してみます。
マクロミルの2018年の調査では、有線だけを使う人よりワイヤレスを使う人の方が、スポーツや運動中に利用すると答えた割合が高くなっていました。また、マイボイスコムの2023年の調査では、ワイヤレスの利用理由として、動いていてもコードが邪魔にならないことが多く挙げられています。[2][3]
これは考えていた説明を支える手がかりです。ただし、一時点で異なる利用者を比べた調査から、ワイヤレス化によって運動中の利用が増えたとまでは言えません。もともと運動中に使いたい人が、ワイヤレスを選んだ可能性もあります。
それでも、「使いやすくなったから」という漠然とした理由から、どこが使いやすく、どんな場面でそのよさが表れるのかへ、考えを進めることができました。
仮説の重みや役割が変わる
通話についても、ワイヤレスの利用理由として挙げる人がいることは確認できました。けれど、そこから「通話品質が向上したことが、普及の大きな原因だった」とまでは言えません。使い道があることと、それが広まった理由であることには隔たりがあります。[3]
通話のしやすさは、購入を後押しする要因かもしれませんし、使い始めてから便利だと気づいた用途かもしれません。その違いを確かめるには、買ったときの理由や通話に使い始めた時期なども知りたくなります。
最初に考えたことは、正解か不正解かだけでは扱えないようです。資料を読んで、説明としての重みが増すこともあれば、まだ根拠が足りないと分かることもあります。原因だと思っていたものを、補助する要因や、その後に広がった使い道として考え直すこともできます。
便利だから使うことと、自分の世界に入りたいから使うことも、同時に起きていてよさそうです。理由を一つに決めるより、それぞれがどこまで説明できるのかを見ていくと、調べたいことが残ります。
「自分の意見がない」を一つの場面で考える
食べ物や道具から離れて、私自身について考えたこともありました。
「自分の意見を聞かれると、なぜ何もないような気がするのか」。こう尋ねると、自分という人間全体を説明しなければならないようで、少し大きすぎる問いに感じます。
きちんと答えようとして力むからでしょうか。その話題に関心や知識がないからでしょうか。そもそも、あまり重要だと感じていないのかもしれません。
そこで、具体的にどんな場面だったかを思い出しました。服を買うとき、「何でもよい」と感じて選ぶのを面倒に思ったことがありました。
では、二着に絞られていたらどうでしょう。
その条件なら、どちらかを選べそうな気がしました。さらに、見比べ始めれば、ほかの服も確認したくなったかもしれません。実際に二着で試したわけではありませんが、そう考えると、最初の「何でもよい」が違って見えてきました。
好みがないと決める前に、比べる足場がなかったため、まだ選びたい気持ちが動いていなかったのではないか、と考えられます。
一方、中華料理を食べたくて店へ行ったのに、メニューを決めにくかったこともあります。こちらには食べたいという気持ちがありました。それでも迷うなら、関心がないことだけでは説明できそうにありません。
候補が多かったのか。食べたいものがいくつもあったのか。何を優先するかが決まっていなかったのか。同じ「決められない」でも、その内側では違うことが起きていた可能性があります。
「今日は辛いものか、あっさりしたものか」のように、比べる軸があったらどうだったでしょう。これもそのときの自分を考え直すための一つの条件です。
選択について調べると、人の好みはいつも初めからはっきりしているとは限らず、選ぶ過程で形づくられることがあると論じた研究に出会いました。また、選択肢が多ければ必ず選びにくくなるわけではなく、選択肢の複雑さや、何を好むかの曖昧さなどによって、影響が変わることも報告されています。[4][5]
その研究だけで、私の買い物の理由が分かったわけではありません。けれど、「意見がない」という一言で済ませていた経験を、一歩細かく見直す手がかりにはなりました。
自分全体への問いを一つの場面へ下ろしてみる。そこで何が起きていたかを考え、条件を変えた場合と比べてみる。大きな問いの中にも今の自分が扱える部分が見つかることがあります。
世界を見ていた自分の目に気づく
イヤホンの探究にはもう一つ心に残ったことがあります。
最初に、「自分の世界に入っていたいという欲求が強まったのではないか」と考えました。便利さだけでなく、それを使う人の気持ちが自然に気になったのです。
資料を確かめると、その見立てに重なる回答もありました。パナソニックが2024年に首都圏の学生や社会人を対象に行った調査では、家でイヤホンを使う理由に「一人の世界に没頭したい」という回答が挙がっています。[6]
もちろん、この回答があることから、現代人が以前より自分の世界に入りたがるようになったとは言えません。今回確かめられたのは、そういう理由で使う人が調査対象の中にいるということです。
それを知ると、自分がなぜその仮説を思いついたのかも気になりました。人がイヤホンをつけている姿を見て、私はまずその人がどのような時間を過ごしたいのかに目を向けていたのでした。
納豆のときには、自分が見慣れたホテルや画面の中の朝食から考え始めていました。服のときには、「何でもよい」という自分の言葉を、関心がないという意味で受け取っていました。
調べたり、別の条件を考えたりするうちに、外の出来事だけでなく、それを見ていた自分の目にも気づきます。
逆の動きもありました。「自分の意見がない」と、自分の中だけを見ていたはずが、選択肢の並び方や比べやすさ、人の好みについての研究へつながりました。自分について考えるために外の世界にも尋ねてみたくなったのです。
世界を知ろうとして自分の見方に戻る。自分を考え直そうとしてまた世界へ目を向ける。今回の探究では、そんな行き来が起きていました。
分かったところと残った問い
ここまで考えても、納豆と朝の結びつきの始まりをすべて説明できたわけではありません。イヤホンが広まった理由も、一つには決まりませんでした。「自分の意見がない」という感覚も、買い物の話だけで全部を説明することはできないでしょう。
それでも、どこが分かり、どこから先は分からないのかが、少し見えてきました。最初の言葉では捉えきれていなかった違いにも気づけました。
確かめられる事実は、資料に戻って丁寧に確認したいと思います。一方で、「自分は何を大切にしたいのか」のように、たったいま一つの答えに決める必要のない問いもあります。具体的な場面を調べられることと、問い全体が解決することも、同じではありません。
レポートや発表にまとめることで、考えが深まる場合もあるでしょう。学校の課題として取り組むなら、求められた形にまとめることも必要です。けれど、日常で始める探究では、問いが変わったことや、何を確かめたいのかが見えたことも、持ち帰れるものになります。
気になっていることを誰かと眺める
学校の探究の時間や自由研究にも、こうした小さな疑問を持ち込めます。大人の暮らしにも、昔から何となく気になっていることや、一度きちんと見てみたいことがあります。
忙しさの中で通り過ぎてしまうことも、一人ではどこから調べればよいか分からないこともあるでしょう。年齢にかかわらず、その続きを考える時間があってよいのだと思います。
すべての資料を一人で探し、読みこなす必要もありません。誰かと検索したり、図書館で相談したり、詳しい人に聞いたりすることができます。AIに資料の候補を探してもらい、元の資料を確かめることもできます。
「何を確かめたいのか」を話すだけでも、相手の問い返しから、次に見たいものが見えてくるかもしれません。今回も、話しながら考えることで、一人ではそのままにしていた言葉をもう一度眺めることができました。
和会塾では、子どもも大人も、日常の中で生まれた問いを持ち寄り、ともに眺め、必要に応じて調べ、考えていくことを大切にしていきたいと思っています。それぞれの関心に沿って、必要なところまで一緒に進む時間です。
気になっていることがあるけれど、一人ではどこから考えればよいか分からない。そんな問いも、和会塾へ持ってきて構いません。
納豆でも、イヤホンでも、買い物のときの一言でも。まだ調べずに置いてあることの中に、しばらく立ち止まって眺めてみたいものはあるでしょうか。
この記事で参照した資料
[1]式亭三馬『諢話浮世風呂』初編巻之上「朝湯の光景」。『近代日本文学大系』第17巻(1927年)13頁。県立長野図書館所蔵、信州地域史料アーカイブ公開画像007。前編刊行年1809年は、国立国会図書館作成ジャパンサーチ「式亭三馬」でも確認。
[2]マクロミル、ワイヤレスイヤホンに関する調査、2018年10月。全国15~59歳のモニター、有線のみ600人・ワイヤレス200人を比較。ワイヤレスには有線併用者も含みます。
[3]マイボイスコム、「ワイヤレスイヤホン・ヘッドホン」第3回調査、2023年7月。モニター9,640件。利用理由の集計対象はワイヤレスイヤホン・ヘッドホン等の利用者です。
[4]Bettman, J. R., Luce, M. F., & Payne, J. W. (1998). Constructive Consumer Choice Processes. Journal of Consumer Research, 25(3), 187–217。原著情報・抄録(Duke大学)。本文では抄録で確認できる選好の構成に関する議論を参照しました。
[5]Chernev, A., Böckenholt, U., & Goodman, J. (2015). Choice overload: A conceptual review and meta-analysis. Journal of Consumer Psychology, 25(2), 333–358。著者公開PDF。選択肢の多さの影響が、複数の条件によって変わることを検討したメタ分析です。
[6]パナソニック、イヤホンの使用実態に関する調査、2024年1月実施。首都圏の学生18歳以上・社会人20~39歳、計600人。家で使う理由の回答を参照しました。
