コラム

なぜ納豆は朝なのか――素朴な疑問から始まる探究

朝の光が差す食卓に、納豆、ご飯、味噌汁と開いたノートが置かれているイラスト。
わたなべ

旅館やホテルの朝食を思い浮かべると、納豆が並んでいる場面が浮かびます。家庭の食卓でも、ご飯と味噌汁、その隣に納豆があると、どこか朝食らしく感じます。

けれど、納豆は夜に食べても何もおかしくありません。夕飯の一品にしても、おつまみにしてもよいはずです。それなのに、どうして「納豆は朝」という印象があるのでしょう。

もちろん、毎晩食べている人も、朝には食べない人もいるでしょう。ここで気になったのは、納豆を食べるべき時間ではなく、私の中にある、その朝食らしさでした。

思いついた理由を並べてみる

はじめに浮かんだのは、旅館やホテルの朝食でした。あちこちで繰り返し目にするうちに、納豆と朝が結びついたのかもしれません。

では、宿泊施設ではなぜ朝に出すのでしょう。小分けのパックなら配りやすく、提供する側にとって便利なのではないか。食べる側も、開けて混ぜればよいので、忙しい朝に向いていそうです。

テレビドラマやアニメの影響も考えられます。朝の食卓に納豆ご飯がある場面を何度も見て、「朝食とはこういうものだ」と感じるようになったのかもしれません。

この段階では、どれも思いついた理由です。実際にどれほど影響があるのかは、まだ分かりません。ただ、こうして言葉にしてみると、次に何を確かめたいかが少し見えてきました。

ホテルやテレビが納豆を朝のものにしたのなら、それらが今のように広がる前は、どうだったのでしょう。

「なぜ朝なのか」の前に、まず「いつから朝だったのか」を調べてみたくなります。

二百年以上前の朝に納豆売りの声がある

そこで出会ったのが、式亭三馬の『浮世風呂』です。江戸の銭湯に集まる人々を描いた、滑稽本と呼ばれる読み物で、前編は文化六年、1809年に刊行されました。[1]

前編巻之上の「朝湯の光景」の冒頭には、夜明けの烏の声、商人の納豆を売る声、家々の火打ちの音が並んでいます。今から二百年以上前の朝にも、すでに納豆売りが登場しているのです。[2]

これは、当時の暮らしをそのまま記録した調査報告ではなく、文学作品です。それでも、江戸の朝を描く場面に納豆売りの声が置かれていることは、納豆と朝の結びつきを考える手がかりになります。

少なくとも、その結びつきを現代のホテルやテレビだけから説明することはできそうにありません。自分が思っていたよりも、ずっと前の時代へ話がつながっていました。

ただし、1809年に書かれているからといって、その年に始まったわけではありません。ここで分かったのは、江戸後期の作品に、朝の納豆売りが描かれているということです。いつ、どこで、その習慣が生まれたのかは、まだ別に確かめる必要があります。

ホテルやテレビという仮説の位置づけ

では、最初に考えたホテルやテレビの話は、すべて外れだったのでしょうか。

「納豆と朝の結びつきの始まり」を説明するには、時代が合いません。しかし、すでにある朝食の習慣が後の時代にも受け継がれる理由としてなら、考える余地はありそうです。

ホテルで繰り返し提供されたり、画面の中で朝食として描かれたりすることが、「納豆は朝」という印象を保つ働きをしているのかもしれません。もっとも、今回調べた江戸の資料では、その影響までは分かりません。確かめるには、宿泊施設の献立や、映像作品での描かれ方など、別の材料が必要になります。

最初の考えを捨てるというより、どの部分を説明できそうか、置き場所を変えてみる。そうすると、一つの仮説の中にも、見直すところと、これから調べられるところがあると分かります。

納豆から江戸の台所へ

朝の納豆売りを知ると、今度は、その声を聞いていた人々の暮らしが気になってきます。朝に何を作り、どのように食べていたのでしょう。

江戸後期の暮らしを記した喜田川守貞の『守貞謾稿』には、江戸では朝に飯を炊き、味噌汁を合わせ、昼と夕方は冷や飯を食べるという記述があります。一方、京都・大坂については、昼に飯を炊くと記されています。同じ時代でも、食事の時間の組み立て方が違っていたのです。[3]

納豆の食べ方も、今の納豆ご飯だけを思い浮かべると見落としてしまうものがあります。『守貞謾稿』には、納豆を汁に煮たり、醤油をかけたりして食べるという記述があります。また、江戸時代の料理書には、納豆をたたいたり、すったりして味噌汁に加える、納豆汁の作り方が見られます。[4]

朝に飯を炊き、汁を作る台所がある。そこへ納豆を売る人が来る。この二つを合わせて眺めると、納豆が朝の食事に入りやすかったのではないか、と考えたくなります。

ただ、資料にそれぞれの記述があることと、「だから納豆が朝に定着した」と言えることは別です。今回確かめた範囲では、その始まりや因果関係までは決められません。

それでも、最初に思いついた「手軽さ」や「生活の都合」が、江戸の暮らしにもつながりそうだと感じたのは面白いことでした。今のパック入り納豆とは形が違っても、人々の食事の支度や食べ物を届ける仕組みに目を向けると、腑に落ちるものがあります。

理由を一つ選ぶつもりで考え始めたのに、いつの間にか、納豆の周りに台所や商人、一日の暮らしが見えてきました。

気づけば問いの形が変わっている

最初の問いは「なぜ納豆は朝なのか」でした。

けれどここまで調べると、少し違う尋ね方をしたくなります。

「納豆と朝の結びつきは、いつ、どこで、どのように生まれ、それがどう受け継がれてきたのか」。

江戸の作品に描かれていることと、日本中で同じ習慣があったことは、同じではありません。また、江戸の朝と、今日のホテルの朝食との間には、長い時間があります。その間に何が変わり、何が残ったのかも気になります。

始まりを知ることと、続いてきた理由を知ることも、分けて考えられそうです。一つの理由だけでは説明しきれないかもしれません。

まだ答え切れてはいません。それでも、どの時代や地域を調べたいのか、何を確かめれば先へ進めるのかは、初めより見えるようになりました。

そして、自分がなぜホテルやテレビを思い浮かべたのかにも気づきます。納豆の歴史を考えているつもりで、まずは、自分が見慣れた朝の風景から考え始めていたのでした。

次の朝、少し違って見えるかもしれない

今回の始まりは、単に「そういえば、なぜだろう」と思ったことでした。立派な研究テーマを用意していたわけではありません。

自分なりに理由を考え、調べてみる。すると、思っていたより古い時代の納豆売りに出会いました。その情報は、わずかとはいえ最初に自分の考えを持ってみたからこそ、問いに対する関心と理解を高めてくれました。

こうした時間も、探究と呼んでよいのだと思います。

学校で取り組む生徒さんにも、毎日の暮らしの中で気になることを持つ大人にも、その入口はあります。誰かと話すうちに、自分だけでは通り過ぎていた疑問に気づくこともあるでしょう。

「納豆は朝」という小さな感覚から、江戸の町や台所へ道がつながりました。全部を説明できたわけではないけれど、次の朝、いつもの納豆を前にしたとき、その向こうに売り歩く人の声が少し聞こえるかもしれません。

和会塾では、教科の学習だけでなく、日常の中で生まれた問いを一緒に眺め、調べ、考えていくことも大切にしています。

和会塾が対話で大切にしていること

なぜ、いま対話なのか

この記事で参照した資料

[1]国立国会図書館「式亭三馬」(ジャパンサーチ)。『浮世風呂』前編の刊行は1809年。作品全体の刊行は1809~1813年。資料を読む

[2]式亭三馬『諢話浮世風呂』初編巻之上「朝湯の光景」。『近代日本文学大系』第17巻(国民図書、1927年)所収、13頁。県立長野図書館所蔵、信州地域史料アーカイブ公開画像(007、12~13頁)で照合。資料を読む

[3]喜田川守貞『守貞謾稿』後集巻之一「飯」。武庫川女子大学生活美学研究所公開『生活美学と多田道太郎』所収、杉本節子・横川公子「おばんざいと京都町屋暮らし(対談記録)」印刷頁250(PDFの254ページ目)に引用。資料を読む

[4]山形県立図書館の調査回答「『納豆汁』について記載されている江戸時代の文献はありますか」(国立国会図書館レファレンス協同データベース)。『近世風俗志(一)(守貞謾稿)』296頁、『図説江戸料理事典』86頁などを参照した回答。資料を読む

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わたなべ
わたなべ
東京大学法学部卒業。
司法試験合格、研修後、業界を転向。
“対話で学びを拓く”をテーマに活動しています。
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