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現代文の歩き方③:読みながら、先回りしすぎないこと

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現代文を読んでいると、
「このあと筆者はこういうことを言いそうだ」
「つまり結論はこれだろう」
と、先回りして考えたくなることがあります。

これはある意味では自然なことです。
文章を読むというのは、ただ言葉を追うだけではなく、流れを感じたり、先を見通したりすることでもあるからです。

けれど、この「予測」が強くなりすぎると、かえって文章が読めなくなることがあります。

予測しすぎが理解をはばむ

現代文が苦手な生徒さんだけでなく、むしろ頭の働きが速い生徒さんほど、この状態に入りやすいことがあります。

特に、数学がとても得意な生徒さんなどは、文章を読むときにも

  • 早く全体像をつかみたい
  • 先に構造を把握したい
  • 答えになりそうなものを早く見つけたい

という方向に意識が向きやすいように感じます。

もちろん、それ自体は悪いことではありません。
ただ、現代文では、それが少し行きすぎると、

「本文に書いてあること」ではなく、「自分がそうだと思ったこと」を読み始めてしまうのです。

選択問題で外しやすくなるのも同じ理由

このタイプの読み方をしていると、選択問題で意外なほど外してしまうことがあります。

なぜかというと、本文全体の空気や細かな言い回しを受け取る前に、

「おそらくこういう話だろう」
という仮の答えを頭の中で作ってしまうからです。

すると、選択肢を見たときにも、

  • 本文に合っているもの
    ではなく、
  • 自分の予測に合っているもの

を選びやすくなります。

一見もっともらしいのに、本文とは少しずれている。
そんな選択肢に引っかかりやすくなるのです。

細かく読み解こうとしすぎるあまり、部分的に正しいものが積み重なるように思えて、正解だと感じてしまうことなどもありますね。
このことは、分解された要素のみで物事が成り立っているわけではない、という深遠な示唆も含んでいる気がします。

現代文は「あとから」分かる

現代文の文章は、数学の問題のように、最初に見通しを立てて一気に処理するほうがよい場合もありますが、いつもそうとは限りません。

むしろ大切なのは、まだ全体が分からないまま、少しずつ受け取っていくことです。

  • この一文では何が言われているか
  • この言葉は前の段落とどうつながるか
  • いま、話はどちらへ動こうとしているか

そうした小さな単位を丁寧に追っていくうちに、全体の形があとから見えてきます。

つまり、現代文は「先にわかる」ものというより、読んでいく中で、だんだん立ち上がってくるものなのだと思います。

予測を手放すと、文章の輪郭が見えてくる

授業でもときどき、

「この先どうなるかを考えすぎずに、いま書いてあることだけをまず受け取ってみましょう」

とお話しすることがあります。

すると、それまで何となく曖昧だった文章が、少しずつ見えてくることがあります。

予測しすぎているときは、本文の上に自分の考えを重ねて読んでしまっています。けれど、その重なりを少し外すと、文章そのものの輪郭が現れてきます。

これは、現代文に限らず、人の話を聞くときにも少し似ているかもしれません。

「この人はこういうことを言いたいのだろう」と先に決めてしまうと、目の前の言葉が入ってこなくなる。

文章も、どこかそれに近いところがあります。

読むときは、「わからなさ」に耐えてみる

現代文を読むときに大切なのは、すぐに全体をつかもうとしすぎないことです。

言い換えるなら、「わからなさ」に耐えることかもしれません。

まだはっきりしない。
でも、いまの一文はこう読める。
次を読めば、もう少し見えてくるかもしれない。

そのくらいの感覚で、一歩ずつ読んでいく。

そのほうが、結果として、文章全体を正確に受け取れることが多いのです。

おわりに

現代文では、頭の良さがそのまま読みの正確さにつながるとは限りません。

むしろ、よく考えられる人ほど、考えすぎて本文を見失うことがあります。

だからこそ、

読むときには、予測しすぎないこと。
先回りして「わかったつもり」にならないこと。

この姿勢は、とても大切です。

現代文は、自分の推理を当てるゲームではなく、目の前にある文章を、少しずつ丁寧に受け取っていく学びです。

その歩き方を、これからも大切にしていきたいと思います。

ABOUT
わたなべ
わたなべ
東京大学法学部卒業。
司法試験合格、研修後、業界を転向。
“対話で学びを拓く”をテーマに活動しています。
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