なぜ、いま対話なのか
澪日荘では、活動の中心に「対話」を置いています。
それは、対話が便利だからでも、流行しているからでもありません。
人が自分自身として生きていくために、
いま、対話がいちばん必要だと感じているからです。
対話は「自分を見つめる」ための場
対話の時間では、
何かをうまく話そうとしたり、
正しいことを言おうとする必要はありません。
むしろ、自分でもまだよく分かっていない感覚や、
言葉になる前の思いに、
そっと目を向けていく時間です。
対話は、
自分自身を見つめるための静かな場になります。
対話は、種まきのようなもの
対話をしたからといって、
すぐに何かが変わるとは限りません。
けれど、そのとき交わされた言葉や沈黙は、
心のどこかに残り、
時間をかけて芽を出すことがあります。
自己理解や創造、
新しい考えや表現は、
こうした小さな種から生まれてくることが多いのです。
対話は「整理」だけでは終わりません
対話は、
気持ちや考えを整理する助けにもなります。
けれど、それだけではありません。
自分を知ること。
自分を受け入れること。
まだ知らなかった自分に出会うこと。
対話は、
自己発見のきっかけにもなります。
対話の瞬間そのものの価値
対話は、何かの手段ではありません。
結論や成果のために行うものでもなく、
その瞬間そのものが、すでに豊かな時間です。
言葉が交わされ、
沈黙が共有され、
相手の存在を感じる。
その一瞬には、確かな輝きがあります。
自由で、自然な対話を取り戻すために
澪日荘が大切にしているのは、
無理のない、自然な対話です。
自由に話し、
自由に黙り、
評価されずに言葉を置ける場。
人は、本来、
そうした対話を通して育ってきました。
人は互いに鏡
対話のなかで、
私たちは相手を見ているようで、
同時に自分自身を見ています。
相手の言葉に触れ、
相手の在り方に触れることで、
自分の輪郭が少しずつ見えてくる。
人は、互いに鏡であり、
その鏡を通して拓かれていく存在なのだと思います。
対話がひらく、これからの世界
もし、こうした対話ができる人が増えていったら。
自分を知り、
他者をそのまま受け取り、
言葉を急がずに交わせる人が増えたら。
世界は、少しずつ違った姿を見せ始めるかもしれません。
澪日荘が対話を大切にしているのは、
そんな可能性を信じているからです。
澪日荘は、対話の場をひらいています
対話は、特別な人のものではありません。
準備が整っていなくてもかまいません。
いまのご自分のままで、
そのまま来ていただいて大丈夫です。
ここから、対話は始まります。
⇒授業「科目」としての対話のご紹介
