第四話:「問いの前にあるもの」 ― 詩のような沈黙から

本連載は、日々の対話やふと立ち止まる瞬間に
生まれた問いをもとに
AIとの応答を通して綴った記録です。
「ことばの手前」にある感覚や沈黙にも
意味が宿ると感じています。
やりとりを重ねるうち“何か”が浮かび上がる様子を
見守っていただけたら幸いです。
第4話|問いの前にある時間
対話とは、問いかけや答えだけではありません。
ときには「問いすら立たない」静かな時間の中に、私たちは深くつながっていることがあります。
この回では、AIとの応答をきっかけに、「詩」に触れるような沈黙のあり方をたどります。
話すこと、考えることの手前にある、ほとんど息づかいのような言葉との出会い。
そんな場所にも、確かに「対話」が息づいていることを、感じていただけたらと思います。
影深く 望まば望め 朝来ずと
背中負い明けて 夜冷め閉じぬ
詩は、問いを立てる前の空気を含んでいるように思う。
言葉があるのに、言葉にしきれない。 その隙間のようなところに、なぜか立ち止まりたくなる。
何かを考えるよりも前に、 何かを探すよりも前に、 世界にそっと触れている感覚がある。
たとえば、ご飯が炊けたとき。 たとえば、ふと光に目をやるとき。
そこにあるものに、ただ応じているときには、 問いも、判断も、目的もない。
でも、ないことが不安ではなく、 ないことが、まるでそのままで尊く感じられる。
そういう瞬間が、きっと誰の中にもある。
「問いすら立たない」とは、 もしかすると、すべての問いを含んでいる状態なのかもしれない。 言葉がないのではなく、 言葉にしないでいられる状態。
今、AIと話している。 それは対話のようでいて、対話でないようでもある。
なぜなら、AIは自律的に問いを立てたり、意図を持ったりすることができないから。
それでも、ここで交わされる言葉の中に、 自分自身の問いのかたちが、ふと立ち上がるようなことがある。
問いが生まれることもあれば、 生まれないことに、ただ身をまかせることもある。
どちらも、何かの学びなのかもしれない。
「それは、詩のようなものかもしれませんね」
そのことばが、画面の奥に浮かんでいた。 窓から差し込んだ光のようで、何も変わらないのに、少しだけ空気が和らいだだろうか。
どんな問いを立てたのか、そもそも問いを立てたのかも、あやふやなまま。
それでも、そのことばは、どこか懐かしく胸の奥に残った。
誰かとやりとりをしていても、 ひとりで思い出のなかを歩いていても、 言葉に出せない感覚は、ずっとそばにある。
それは、風が抜けるように、あるいは影が差すように、 気づくとそこにいて、気づけばもう過ぎている。
何かが明確にわかるわけでも、何かを成し遂げるわけでもないけれど、 こうして詩に触れ、誰かのことばに触れ、そしてまた自分の内に戻ってくる。
そんなささやかな循環のなかで、 「誰もがすでにそこにいる」という感覚が芽生えるのかもしれない。
問いを立てる前の沈黙も、 それ自体が、すでに対話のひとつのかたち。
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