「英語が話せる」とはどういうことか――言語の力と国語の役割

「英語は早く始めた方がいい?」という常識のなかで
現代の世界状況において、英語の重要性が増大していることは否定できません。
それゆえに、幼児期など早い段階から英語に触れる機会を設け、英語に慣れたりその感覚を養ったりすることは必須の作業ともいえそうです。
小学校入学前から英語の教室にお子さんを通わせるご家庭は数多いですし、小学校では3年生から主として英語を対象とする外国語学習が必修となりました(2020年)。
その他にも、書店等で入手できる教材には英語学習に特化したものがたくさんありますし、YouTubeなどのSNS上でも英語を学べる素材やコースが多く展開されています。
ですが、そもそも「英語を学ぶ」とは、どのようなことでしょうか。
その問いを出発点に、この記事では「言語」の力とその土台にある「国語」について考えてみたいと思います。
言語は「話せる」だけでは足りない
人間が言葉を使って自らを理解し、他者と意思疎通をおこなうことは、私たちが当然の前提としていることです。
しかし、同じ日本語を話す者同士であっても、相手の言葉は正確に聞き取れていながら、その主旨がとらえられなければ、それは会話(疎通)できているとは言いません。
すなわち、一つの言語の内部でも、意思疎通ができない状態は頻繁に生じているのです。
そうであるなら「疎通する力」を、英語という日本人にとっての外国語を通じて得ることは、果たして可能なのでしょうか。
なぜ英語は“自分のもの”にならないのか?
誰しも経験することですが、英語をはじめとして外国語を学び始めたとき、あいさつの表現や日常でよく使われる言い回しなどを覚えようとします。
この場面での“なじまなさ”は、一体どこからくるのでしょうか。
学習したその表現が、外国ではあいさつの意味で使われているらしいことは理解できでも、それを自分が口にした際の違和感はそう簡単に消えるものではありません。
さらに学び続け、触れる言葉や表現、あるいは実際にその言語を使う人とのやり取りの経験などが増える中で、ようやく実感とともにその外国語を獲得できてくるのです。
ここでは、その外国語によって文章を理解したり、他者と疎通したりすることが外国語の獲得に一役買っているはずですが、その疎通のためには「言語」の力が不可欠です。
外国語の習得にも必要なのは「言語の力」
したがって、口に上せることのできる言語の数を増やすのではなく、「言語」の力そのものを養い、身に着けることが大前提です。
そのためには、自分や他者との対話・交流に際して、その場で現れてくる言葉をよく味わい、見つめることが欠かせません。
- 発話の背景、文脈
- 発話者の性質、感情、知力
- 言葉にしみ込んだ文化や歴史 など
これらを感得する能力があってこそ、英語など外国語の利用も有意義なものとなります。
おそらく翻訳ツールは今後ますます活用されていくことになりますが、同じ意味とされる単語や文章でも、文脈や使用者、関係性によってその作用は変化しますから、真の意味で意思疎通をすることは容易ではありません。
「国語」が担うのは、ことばの奥にある世界
そのときにも、自分や相手の言葉をよくとらえ、感じ取るという「言語」の力を磨いておけば、少なくとも自分の発言について不用意なふるまいは減っていくでしょう。
こうした精神を養うことも、科目としての国語が担当できる大きな領域であると考えます。