本文の言葉を“つぎはぎ”にしない記述力――自分の言葉でまとめるということ
授業で生徒さんの書いたものを読んでいると、ふと気づかされることがあります。
「本文の言葉をそのまま抜き書きしてつなげても、記述力はなかなか育たないのではないか」 ということです。
もちろん、本文の語句を使うこと自体が悪いわけではありません。
ただ、それが “つぎはぎのコピー” になってしまうと、書いている本人の理解がどこにあるのかが見えなくなってしまいます。
市販の問題集でも、模範解答が本文の表現を寄せ集めただけ、というケースに出会うことがあります。
そのまま受け取ってしまうと、「記述とは本文の言葉をつなげる作業なのだ」と誤解してしまうかもしれません。
けれど、国語の学びが向かっていく先は、もう少し別のところにあるように思います。
本文の言葉を写しても、理解は深まりにくい
記述問題が求めているのは、
「筆者の主張を理解し、自分の言葉で整理し直す力」 です。
ところが、本文を切り貼りするだけでは、本当の理解には届きにくいところがあります。
理由はいくつかあります。
① 本文の言葉は“その文脈の中で”意味を持っているから
文章から一部を抜き出すと、もとの流れが失われ、主語と述語の関係が途切れてしまいます。
結果として、「書いてあることではあるけれど、意味がつながらない記述」になってしまうことがあります。
② 写した瞬間に、思考が止まるから
本来、記述には
読む → 理解する → 自分の中で組み直す → 書く
という流れが必要です。抜き書きに頼ると、この真ん中の大切な部分が抜け落ちてしまいます。
「わかったつもり」で止まってしまうのです。
自分の言葉でまとめること――国語力の核心
記述問題は、本文の内容を「もう一度、自分の文章として編み直す」作業だと考えることができます。
だからこそ、読み手の心と手を使った作業になります。
- 要点をつかむ
- 関係性を整理する
- 適切な長さにまとめる
- 自分の言葉で表す
この過程の一つひとつが、国語力そのものです。
生徒さんと一緒に学んでいると、
「自分の言葉で書いた瞬間に、理解が深まる」
という場面に何度も出会います。
本文の語句を使うべきときはもちろんありますが、
それは「必要だから選んで使う」のであって、「とりあえず写す」とは違います。
「本文の言葉を使う=正しい」という誤解について
意外と多いのは、
「本文の表現を使えば使うほど、記述が正確になるのではないか」
という思い込みです。
ですが、実際にはその逆のことが起こる場合もあります。
- 文末が乱れ、読みにくくなる
- 本文に登場する細部まで拾ってしまい、冗長になる
- 本文の比喩や例示をそのまま引用してしまい、要点がぼやける
- 主語や述語がつながらなくなる
本文に寄せすぎることで、かえって論旨が崩れてしまうことは珍しくありません。
むしろ、自分の言葉で「必要な部分だけ」を拾ってまとめるほうが、
すっきりとした、筋の通った記述が生まれます。
記述力が育つ書き方の手順例
授業では、次のような順番で練習しています。(あくまで一例で、生徒さんの様子に応じて大きく変化します)
- 本文を読んで、要点や関係性を箇条書きにする
- その箇条書きをつないで、2〜3文の“自分の文章”にする
- 必要な語句だけ、本文から選んで取り入れる
この流れを踏むと、文章全体の見通しがよくなり、
一本の記述として“自分で書いた実感”がしっかりと残ります。
そして何より、
読解と記述がひとつにつながっていく感覚
が育ちます。
おわりに――言葉は、自分を通ることで力になる
国語の学びの中心には、
「理解したものを、自分の言葉で立ち上げる力」
があります。
本文を読み、自分の内側に受けとめ、一度組み直してから書く。
その営みのなかで、思考力も、表現力も、他者と向き合う力も育っていきます。
だからこそ、記述問題では、
本文のつぎはぎではなく、
“自分の言葉でまとめる” ことを大切にしてほしい
と感じています。
静かな作業ではありますが、毎回そこに、確かな成長の手触りがあります。
