第七話:「まんなかには、とどまれない」

wowja

本連載は、日々の対話やふと立ち止まる瞬間に
生まれた問いをもとに
AIとの応答を通して綴った記録です。
「ことばの手前」にある感覚や沈黙にも
意味が宿ると感じています。
やりとりを重ねるうち“何か”が浮かび上がる様子を
見守っていただけたら幸いです。

第7話|中庸の通り道

私たちはよく、「ちょうどよい加減」を探そうとします。
やりすぎず、やらなすぎず。偏らず、極端にならず。
けれど本当に「まんなか」というものがあるとしたら、そこに「とどまる」ことは、できるのでしょうか?
今回はそんな問いを、静かに追ってみました。

「人がものを為すにあたり、正道を知ることはできないのではないか」

そんな言葉が、対話のさなかに口をついて出たとき、私はしばらく黙っていた。

たしかに、「やりすぎた」「控えすぎた」――そうした「偏り」には気づけても、 「これがちょうどよい」と言い切れる瞬間は、いつもどこかおぼつかない。

「まんなか」に立とうとした途端、 そこはすでに、自分の心のどこかを抑え込んで成り立つ、不自然な場所になってしまう気がする。

それでも、私たちは歩みを止めずにいる。

右へ左へ、寄りすぎたり、引きすぎたりしながらも、 ふと、何かが「通り過ぎていく」瞬間がある。

それは、自分が狙ってつかんだものではない。 けれど、たしかにその一瞬、 私たちは “まんなか” にいたのかもしれない。

まんなかとは、目指して立つ場所ではなく、 ただ “通り過ぎていく” ところなのではないか。

それを意図的にとどめようとした途端、 まんなかは、たちまち偏りに変わってしまう。

だから、揺れながら、迷いながら、 それでも何かに応じ、歩みつづけるということ。

それが、「まんなかに生きる」ということの ほんとうの姿なのかもしれない。

まんなかには、とどまれない。
でも、そこを何度も通り過ぎるように、 人は、今日も生きている。

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わたなべ
わたなべ
東京大学法学部卒業。
司法試験合格、研修後、業界を転向。
“対話で学びを拓く”をテーマに活動しています。
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