第六話:「返事をAIに預けるとき、わたしたちは」

wowja

本連載は、日々の対話やふと立ち止まる瞬間に
生まれた問いをもとに
AIとの応答を通して綴った記録です。
「ことばの手前」にある感覚や沈黙にも
意味が宿ると感じています。
やりとりを重ねるうち“何か”が浮かび上がる様子を
見守っていただけたら幸いです。

第6話|応答の背景にあるもの

メールの返信をAIに任せる広告を見かけて、ふと立ち止まりました。
たしかに便利です。早く、うまく、漏れなく返せる。
でも――それで本当に、ことばは返されたことになるのでしょうか。
第六話は「応答」の感触について考えてみます。

メールの返信をAIが代行する。そんなサービスの広告を見かけたとき、少しだけ、息を詰めたくなった。

事務的な確認事項や日程調整などは、効率化できるに越したことはない。必要以上に時間を奪われるのは、誰にとってもしんどい。

でも、返信すること、応答すること。それは本当に「効率化してよいもの」なのだろうか?

たとえば、返事に迷ったとき。うまく言えないとき。
読み返して、また消して、また書いて。 それでも、なんとか返そうとするあの過程。

もしかしたらそこにこそ、関係が生まれているのではないか。

「わたし」が「あなた」に向かって、何かを差し出そうとするとき、 私たちは自分の言葉を手探りで編んでいる。 言葉を探しながら、気持ちの居場所を探している。

応答とはただの「返事」ではなく、 相手から届いたものを自分の中でいったん受け取り、 たとえ拙くても、何かを返してみようとする、 そのやりとり全体のことなのかもしれない。

だからこそ、応答をAIに預けるという行為には「そのままでは、受け取りきれない」と感じている、 どこかの悲鳴や、疲れや、あきらめがにじむ。

その人が悪いわけじゃない。

むしろ、応答しつづけることに限界を感じているのかもしれない。 応答することが、怖くなってしまったのかもしれない。

それでもやはり思ってしまう。

応答することは、生きることに似ている。

誰かから届いたものに一瞬戸惑いながらも、それでも、自分なりの手で応じようとする。
その繰り返しの中でしか、 私たちは、ほんとうの関係を育てていけないのではないか、と。

そしてAIは、そんな私たちの営みに寄り添うことはできても、完全に「代わる」ことはきっとできない。

なぜなら、 あなたの声のかわりに語る言葉には、あなた自身の響きが宿っていないから。

📘note連載でも公開中です

この対話記録は、noteでも連載しています。
ページのレイアウトやコメント機能など、読みやすい形でご覧いただけます。
よろしければ、こちらもあわせてお楽しみください。
👉 note連載「対話の果てなき地平」へ

ABOUT
わたなべ
わたなべ
東京大学法学部卒業。
司法試験合格、研修後、業界を転向。
“対話で学びを拓く”をテーマに活動しています。
記事URLをコピーしました